「その土俵に上がるのは危険」
突然ですが、承認欲求ってなんでしょう?
似たような言葉で自己顕示欲というものがあります。
両者は似て非なるものです。
承認欲求とは、自分の存在を認めてほしい、という思いです。
自己顕示欲とは、自分の力を誇示し相手に自身の能力を知らしめたい、凄い人なのだと思われたい、という思いです。
さて、承認欲求ですが、どのような時に沸き立つ欲求でしょうか。
自分の居場所がない、誰からも自分が必要とされない、と感じる時などです。
人はこの状態にそう長くは耐えられません。
そこで、その思いを埋める手っ取り早い良い方法があります。
目立つことです。周りよりも際立つことです。
周囲から注目を集める事ができ、時には賞賛を浴び何となく自分の存在価値が高まった気がします。
しかし、同じような事をしていては、次第に周りも見慣れて飽きが出てきて、それほど注目されなくなって行きます。
目立とうとする行為はエスカレートしていき、目立つにもやがて限界を感じ始めます。
また、自分よりも際立つ存在の出現により、さらにその人の存在は霞んでいきます。
さて、ここで過去の栄光を取り戻すべく周囲の注目を一気に取り戻し、トップの座に返り咲く最良の方法があります。
なんだと思いますか?
人の嫌がる行為、迷惑行為をする事です。
周囲は、その人の事で怒りの炎を燃やし、その人の事で頭の中がいっぱいになるでしょう。
そうなれば、願ったり叶ったりかもしれません。
憎まれてでもいいから、自分のことを見てほしい、と、心の奥底に意識が芽生えるとそのような行動に出てしまう事があります。
迷惑行為をする人が、何度注意されてもやめない、やめられないのは、こうした隠れた心理状態にあるからだと言われています。
彼らにとってみれば、それは迷惑行為ではなく、埋められない心の穴を埋めるための手段でしかないので、悪いことをしようと思ってやっているわけではなく、自分のための行為なのです。
馬鹿げている、とお思いかもしれませんが承認欲求が強すぎる人ほど、簡単にこの闇に堕ちていきます。
叱責や注意される事が本望なので、攻撃の的になり注目される事を心の奥底で望んでいるのです。
ですから、私たちはそういった承認欲求にまみれてしまった人の挑発に乗っていけないのです。
挑発に乗れば、相手の思うツボなのです。
どんなに腹立たしく思っても、相手にしてはいけません。
迷惑行為が許せず、誤った行いを正したいお気持ちは理解しますが、それはあなたの役目ではありません。
然るべき機関、組織があるのですから権限が無いものが立ち入るようでは、正義の制裁も根っこは迷惑行為と同類と見做されるでしょう。
最終的に真に困るのは誰なのか、冷静に深く考えてみればわかる事です。
それがわからず、正義の制裁を考えているうちは、相手の安い挑発に乗せられ、相手の思惑通りに踊らされているだけだと気が付きましょう。
私たち万人に必要なのは、誰かに心の穴を埋めてもらうのではなく、自給自足で心を満たせるようになる物事の捉え方を身につける事です。