「見えない炎」
相手の事が心配になって声をかけて、不安に思うような事ではない事がわかって安堵した時、どんな言葉を発しますか?
「あぁ、よかった」
はて?不思議ですね。
いったい何がよかったのでしょう?
相手側にしてみたら全然、良くないかもしれませんよ?
全く事態は収拾しておらず、今も渦中で大変な思いをしているかもせれません。
勝手に事態を片付けるような発言は危険かもしれません。
声には出さなくとも、心の中で不快な印象を持つ方もいるかもしれませんから、言葉選びは気をつけたいものです。
相手の事を心配しているようで、実は相手の事より自分の不安を解消したかったわけで、「不安が解消できてよかった」の意味の「よかった」なのはわかりますか?
解釈が捻くれているとお思いかもしれませんが、世の中には言葉に敏感な人もいますから、どんな言葉をかけるか気をつけたいものです。
わたしがこれまで職務上、対応してきた数万人に及ぶ方々は、どなたも繊細な方ばかりで、言葉の使い方を少しでも誤れば即座に大炎上、事態の終息に数日、酷ければ数ヶ月かかる事もある、という世界でしたからそれほど珍しいものではありません。
ただ、本当に大切なのはどんな言葉をかけるかではなくて、どんな姿勢、態度で声をかけるのかをよく理解する事です。
さて、かける言葉の中身ですが、このコラムを読まれてきた貴方ならもうお気づきかもしれません。
「大変な思いをしているんだね。」と言えたらどうでしょう。
「あぁ、よかった」と「大変な思いをしているんだね。」
この二者の決定的な違いはなんでしょう?
誰に向けられた言葉なのかを考えてみるといいです。
ちなみに、この声かけで、過去形を用いると怒る方がいます。
なぜなら大変な思いは、現在進行形の可能性が高いからです。
「大変な思いをしているんだね」と現在進行形で語りかけ、相手が「いや、もう過去の話だから大丈夫だよ」と返してくるのか、「そうなんだよ、今も大変なんだよ」と、返してくるのかわかりませんが、少なくとも「よかった」や「大変だったね」と、勝手に過去形にしてしまうよりは数倍マシだとお分かりでしょうか。
人間関係の構築が難しいとされるのは、この共感力や想像力が足りていないからです。
足りていない、と言うよりそもそも共感する技術を会得していない、教育を受けていない、というのが正確な表現です。
気遣っているようで己の事ばかり気にして、知らず知らずのうちに相手を蔑ろにして傷つけてしまっているかもしれませんね。
そして怖いことに、大抵の場合、その事を誰も教えてくれません。
貴方の優しさで、密かに静かに怒りの炎を燃やしている人もいるかもしれません。